里山って?里海とは?
「里山」ってご存知ですか?
人の生活のそばにあって、適度に人の手が入ることで生態系が循環している山や森林のことを「里山」といいます。
里山システムの中では、わたしたち人間の営みも生態系の一部です。
同様に、里山の海版ともいうべき「里海」というワードも昨今よく取り上げられています。
「里海」とは人間が手を加えることで海の環境が整い、生態系が豊かなものとなっていく循環システム、といえます。
生態系が豊かになるという事は、つまり人間にとっては魚介や海産物などの恵みをたっぷり受けられるということです。
自然と人間の共存共栄を目指して、ここ備前市日生町では30年以上前から<海の環境を自分たちの手で守る活動>を地道に継続してきました。
それではなぜ、私たち日生町の人々は「海を守ろう」と動き出したのでしょうか?
海が汚れ、魚がとれなくなった
きっかけは、30年ほど前に遡ります。
そのころの日本は高度経済成長に沸き、全国的に工業廃水や埋め立て問題、乱獲などの環境問題が大きく表面化しました。
当時の日生の海はというと、海底はヘドロだらけ、魚は姿を消していました。
海を生業とする漁師たちは死活問題に直面し、打開策を探りました。
「元の海に戻すために、自分たちで出来ることは何だろうか?」と自問を続け、
魚の稚魚やエビの幼生を大量に放流しても、魚たちが増えることはありませんでした。
その時、海が汚れるとともに消滅した〈アマモ場〉を復活させよう、という案が出ました。
〈アマモ場〉があれば魚たちにとって絶好の隠れ場・産卵場になるからです。
日生の漁師たちはほんの少し残っていたアマモの種を採取し、海底にまき始めました。
海のゆりかご…アマモってなんだろう?
ここで少し<アマモ>の説明をしたいと思います。
<アマモ>とは、一言でいうと海の中に生えている海草の一種です。
浜辺を歩くとよく見かける、イネのような細く長い葉の植物がアマモです。
アマモの地下茎を噛むと、ほんのり甘いから「アマモ」という説もあります。
ちなみに、別名を「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(竜宮の乙姫の元結の切り外し)」と言い、植物の名前としては最も長いということです。
アマモには水質を浄化する性質があります。
赤潮の原因となる過剰な栄養を吸収し、海をきれいにしながら大群落を作ります。
そして大きな森が多くの命をはぐくむように、アマモの森は<生命のゆりかご>と呼ばれ、産卵や稚魚たちにとってのかけがえのない住みかとなります。
そのアマモのタネを回収し、人間の手でまく。その活動こそが里海を作るきっかけになっているのです。
もともと瀬戸内海はアマモ場が広がっていた
1950年ごろには590ヘクタール(東京ドーム100個分以上)のアマモ場が日生の海に広がっていたといいます。
それが1980年にはたった12ヘクタールに減少し、アマモの森はほとんど姿を消してしまっていたのです。
海底にアマモを植える取り組みは、最初はヘドロに阻まれて上手くいきませんでした。
しかし、海底に積み重なった牡蠣の殻の周りは濁りが少なく、アマモが育っていることが発見されたのです。
牡蠣の殻を海底へと沈めた上にアマモを植えることで、5年ほどで70ヘクタールにまでアマモ場が広がっていきました。
2007年に80ヘクタール、2011年には200ヘクタール。
2015年に250ヘクタールにまでアマモ場は回復してきて、魚も徐々に海に戻ってきました。
それでも、アマモ場は昔の半分ほど。まだまだこれからも地道にアマモを植えていく必要があります。
最初は日生の漁師たちが海に魚を戻すためにアマモを植えてきました。
ところが漁師たちの高齢化に伴って、アマモ再生事業も人手不足になってしまい、存続が危ぶまれました。
そこで備前市の行政機関によって、地元の中学生たちにアマモ再生事業を授業の一環として取り組んでもらうことになりました。
ひなせ漁師と学生、行政やメディア、地域企業が一体となって取り組んでいます。
産学連携、地域全体で自然の資源を保全し、経済に生かしていく取り組みが認められ、
2016年のアマモサミットではここ備前市日生町が開催地となりました。
そしてこの時日生中学校の生徒たちがアマモ再生への取り組みを演劇で発表しました。
諦めず、可能性に挑戦していく人々が演じられており、感動モノです!必見!
今日では、アマモを植えて海を守る活動は全国に広がっており、メディアでもたびたび取り上げられています。
全国に先駆けてアマモ再生活動を始めた私たち日生町漁協組合は、先人の想いを受け継いで次の世代に渡していく必要があると感じています。
そして、全国のまち・学術・NPOのネットワークをさらに広げ、里海・里山・まちが繋がる「備前発!里海・里山ブランド」を必ずや確立して発展させ、自然と人が共存するための有るべき姿を実現し、国内外に広く発信し続けていこうと考えています。
これからも私たちの取り組みを、末永く見守って頂ければ幸いです。